Concept Address Hopping / アドレスホッピング

Scroll Down

History

2014年4月、約8年の事業会社の経営者というキャリアが、意図しないM&Aによって、突然区切りを迎えた。
それをきっかけに自身と向き合う時間が強制的に訪れた。

「自分」だと思い込んでた価値観は、他者の価値観で出来ていた。
自分では何ひとつ選択していなかった事実を突きつけられた。
自分が何者なのか、自分が何をしたいのかを喪失していたことに気づき愕然とした。
色々なことがありすぎて、僕は長期で日本を離れることにした。家を解約し、東京をやめた。

アジア・中南米・北米・西欧と旅をする中で、自分が”眼差しの囚われ人”だったことに気づいていった。
旅の中にいることで眼差しから離れていく。
自分に戻っていく感覚でもあった。それが「Address Hopping」というコンセプトの強い種となった。

2015年のいつ頃だったか帰国して、「Address Hopping」は経済の流れに飲み込まれてしまう。
その頃、ノマド的な生き方が社会的に脚光を浴びていたこともあって、経済とコンセプトが合流してしまった。
アドレスホッパーと名乗る人たちが増えていくにつれて、僕は強い違和感を持つようになった。
当時は言語化できなかったけど、今思うと「上部構造の”旅”は同じでも、下部構造の”価値観”が違う」のだと理解するようになった。

勝手なのだけど、僕にとってコンセプトは自分の内側そのものだから、「Address Hopping」が全く違う何かに変わっていく様に、ひどく傷ついてもいた。
それから2年ほど、このコンセプトを生み出したことは口にしないようになった。

その間にも僕自身は「Address Hopping」をつづけていて、在り方と向き合いつづけていた。
最初は自分のためだったのだけど、次第に他者との関係性へと広がっていっていった。
それでも、なぜ自分は移動するのか?の問いへの理由は、自分ではたどり着けずにいた。

そして2023年のある日、友人からメッセージが届いた、
「稲作と定住が戦争とセットで生まれたという説を感じていたら高梨さんの顔が浮かんできました。
多分、旅をすることはそれ自体が戦争のない世界の行為なんだと思ったのです。
僕もバンドをやるにあたり世界中をツアーしていくというビジョンがずっとありました。
旅をすること自体、定住でない移動する人間自体がすでに平和活動なんだと納得感があったのです」と。

車窓に涙で滲む自分の顔が映った。

それからようやく自分自身の言葉で「Address Hopping」を語りたいと思うようになった。

僕にとっての「Address Hopping」は平和活動なのだと。

このコンセプトは、後の「Time Capsuler」「Sayonara」「人自然‐folklore‐」へと続いていく。

※Inspiration(敬称略・時系列)
・東浩紀
・フォスター・ハンティントン
・高城剛
・エマニュエル・カント
・ドゥルーズ=ガタリ
・中沢新一
・松尾芭蕉
・ジャック・デリタ
・ジャック・ラカン
・Shinta Sakamoto(8th May Records)
・オノ・ヨーコ&ジョン・レノン

and more...

Back